今日は何の日?〜文化大革命終了、赤い国だからこそ血が延々と流れた〜
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作成日時 : 2008/10/06 01:36
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今日は久しぶりに言いますぜ!地震キタ━━━━━(((゚∀゚)))━━━━━!!!!
粛清は中国の文化です。
それはさておき、今日、1976年10月6日に4人組が逮捕され、文化大革命が終わった事を取り上げたいと思います。文化大革命とは何か?これは粛清以外の何物でもありません。スターリンの言うように社会主義が成功すればするほど、階級闘争は激しくなりますね。それはさておき、文革とは、政治的に失脚していた毛沢東が権力を取り戻そうと画策し、これが国内全土を巻き込んだ事変へと発展したことです。1966年、毛沢東は無茶な経済政策(大躍進政策)に対して責任を取る形で後継者に林彪を指名、この失策を巻き返しに出ますが、毛沢東は権力に執着する心を失っておりませんでした。
民衆に未だ支持されていると悟った毛沢東は、江青ら4人組と共に紅衛兵を組織します。この紅衛兵は毛沢東語録を片手に、ブルジョア階級を根絶やしにすると言う名目を挙げ各地で活動を始めます。当初の活動は、壁新聞や街頭演説が主流でした。内容は林彪政権の現実路線を批判する内容でしたが、徐々にエスカレートしていきます。なぜかといえば、毛沢東が紅衛兵に対して、決起せよと命令し、粛清の嵐が全土に吹き荒れます。まず血祭りにあげられたのが、彭徳懐です。彼は日中戦争、国共内戦、朝鮮戦争を戦い抜いた指揮官でしたが、大躍進政策を批判したために紅衛兵に捕らえられ、拷問にかけられます。彭徳懐という人物は、人民解放軍戦史では、百戦錬磨の猛将です。彼の粛清をきっかけに劉少奇、ケ小平も粛清の対象となり、ケ小平は引退を宣言し何とか生き延びますが、劉少奇は非業の死を迎えます。そうしている内に紅衛兵の中で派閥抗争が勃発、この抗争は激烈を極め、内戦とすら呼ばれる状況になります。そうこうしている内に毛沢東は権力の座に返り咲きますが、死んでしまい、この騒動を画策した4人組が逮捕されることになりました。これで、文革は終わりますが、中国史は皇帝が変わると必ず粛清が起きます。もう、文化といっていい位です。中国経済が20年立ち直れないくらいになった騒動を簡単に纏めてみました。
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